2015年6月21日日曜日

志茂田景樹と太宰治は同じ時を生きていた

志茂田景樹氏の2015/5/8のブログを読みました。
>太宰治と三鷹事件の狭間で三鷹の耳鼻科に通院していた僕が見たものは陽炎だったのだろうか。
年代の感覚が全くなかった私、太宰治氏はすごくすごく昔の方。志茂田景樹氏は今を生きている方。そんなぼんやりとしか思っていないままの先入観でブログを読んでいたら、志茂田景樹氏は太宰治氏を見たことがある。とのこと。何の比喩だろう。なんてことまで一瞬考えてしまいました。(ごめんなさい)wikiなどで年度などを確認しながら読むと、おおおお。同じ時を生きていたんだ。とびっくりです。太宰治、私の記憶の中ではもっともっと昔の人でした。小説の舞台がもっともっと、明治初期のような、そんな雰囲気を想像しながら読んでたようです。(私、単なるにわかです)
と、いうことは私の親も太宰治氏と同じ時を生きていた。の、かも。今のおじいちゃん、おばあちゃんは戦争を体験していない年代の方がおおくなったのでしょう。自分が子供のころは、おじいちゃん、おばあちゃんといえば戦争を体験している人たち。というくくりでおおよそあっていたでしょうに。そんなことを、時代。時の移り変わりをぼやぼやと考えました。
戦争、残酷、他人の命をどんだけ粗末に考えていた野蛮な人たちだったのさ、と思う人たちは、昔々の人たち。ではない。少し昔の人、というか、自分より年上の人たち程度、と考えると、野蛮な人たちとは、今の人たちだよ。戦争は悪い。けっして繰り返してはいけない。そう教えてくれた人たちを今になって尊く思う。当時は、当然でしょ。何を当たり前のことを言っているの。程度にしか思っていませんでしたが。
今の人たちも戦争中と同じ人たち、野蛮。と言い切ってしまった場合、今の政治家の発言も、最初なんでそんなことを言うんだ、やるんだと全く理解できなかったけど、いやだが、最低だと思うが、彼らの頭の中ではどんなことを考えて、そうしているのか、そういっているのか、理解できてしまう。理解できてしまうほどに腹が立ちます。

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